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2005/09/24

日韓 文化交流の集い

在日女性と日本女性が投稿している唯一の同人誌「鳳仙花」が20号発売を記念して、今日「日韓をつなぐ文化交流会の集い」が開催された。この同人誌をずっと編集してきた方と家族で交流があった。ただ、うちの家族は、韓国でも日本でもない独自の道を進んできたので日韓といっても、ある意味どちらにも属さないカンジではある。母の教育方針というか、考え方で、日本でフルパワーで生きていくために、と帰化もしたし、学校も3人とも普通に中学受験したし、どこの団体にも属さなかったけれど、料理は韓国料理は作るし、法事も和韓折衷だったり、韓国人としてや自分たちのルーツは自覚はある。それでいいじゃん、っていうのがうちの家族の考え。色々と思い返しても独特な変わった家庭だとは想うけど、普通に商売人の家、って感じだ。
それはさておき、かつて、6号か7号あたりで2号にわたり、「あけはむ」が学生の頃、挿絵のイラストを頼まれて描いた事もあったので、母と同行した。歴史的にも非常に勉強になる講演が聴けた。
特に、桜美林大学・名誉教授の安宇植(アンウンシュク)先生の、「在日韓国人女性」が公に文章を発表できるようになるまでの経緯がとても興味深かった。
そもそも、プロレタリア文学が関東大地震後、盛んになったときは、在日男性の文学者が非常に重宝されたという。植民地時代を経てそこから起死回生していく根性っていうのかな、プロレタリアにはピッタリだったわけだ。そして「在日」という存在にクローズアップというか、世の中に確固たる認識を与えるのは、金大中の拉致事件からだという。しかし、その1970年代初頭まで、在日男性は何度も登場していたものの、在日女性が文壇上で日本語で表現できていなかった。が、このあたりからやっと出始めたという。今では当たり前だけどね。柳美里さんとか。どうして、その頃になってやっと出てこれたか、というと、一つは儒教思想の中では男子優位であったこと。もう一つは日本語で書くなんてという、なにやら民族的な問題があったわけだ。才能があった人も沢山いただろうけど、何はともあれ、在日女性が文を日本語で発表することが出来始めた頃は、亭主関白の儒教思想の元、女性としての愚痴を伝えて発散していく事も多くあったみたい。
母もいつも言っていた事と同じ、日常を淡々と語る方がよいというような事を教授はおっしゃっていた。戦争も歴史の認識の共有はなかなか難しいが、体験を共有することはできる、とも。だから、在日だからどうだとか、そういう問題より、日常の誰でも感じる事を共有出来る事の方が重要なのだ。それに「鳳仙花」は20号などは、在日女性18人、日本人女性16人という両方が投稿する唯一の貴重な同人誌。これからの活動にさらに期待したい。
さらに、金福実さんの韓国の伝統芸能パンソリを聴いた。パンソリを聴くのは初めて。太鼓を男性が隣で打ちながら、琴を弾きながら、朗々と歌い上げていた。パンソリは日本の演歌のルーツらしい。金さんの声は美空ひばりさんの声に似ていた。パンソリは非常に情熱的に大きな声で歌い上げる。この伝統芸能は楽譜とかなくって、口伝で小さい頃から訓練するらしい。韓国人の熱い大陸的な情熱を感じた。因みに最後の写真はポスターを撮影したが、このシーソー遊びはヤンバン(貴族)の女子が好んでした遊び。昔親から聞いた話だけど、ヤンバンの女子は外に出る事が出来なかったから、外を見るためにこういった高く飛んで塀の外をのぞく遊びが発展したとか。「あけはむ」は小学校あがったときから、学校から帰ったら基本的に外へ遊びに行ってはいけないというのが、色々な理由からうちの方針だったんだけど(まあ、勉強とか、安全のため)、他のうちの子と比べて親に理由を聞くと、ヤンバンは昔そうだったんだとか、笑いながらわけのわからない事を言われてなんか納得しなかった思い出がある。今日始めてそのシーソー遊びの写真を見たのだ。05-09-24_13-3605-09-24_15-0805-09-24_15-1905-09-24_15-55
母がヒルズに行ったことがないので、ヒルズを雨の中案内して食事をしてから途中で別れた。
「あけはむ」はティップへトレーニングと練習に。

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