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「自分なら救える」はありません

恋愛や人間関係で、「自分なら、この人を救える」「自分しか、この人を救える人はいない」と思っている事はありませんか?

本当は、結果的に救われた人が「救われた、ありがとう」という感謝の気持ちになれて、初めて救う、救われたという関係が成り立つと思います。

もし、「この人は私がいないと(何とかしないと)生きていけない、前へ進めない」などと思っていたら、それは、その人の事を「信頼」「信用」していない事と同じです。軽蔑に近いのではないでしょうか。
そして、著しく傲慢です。
その人のためにやる事が、自分がやってあげないとダメねえ、という半ば諦めくらいの気持ちなら日常的には良くある事でしょう。そしてもちろん、わが子を自分が世話をしないと飢え死にしてしまう、というような「責任」という状況下などとは違います。
何かその人の為にやってあげたい、という気持ちは大切ですが、自分しか救える人はいない、という事は絶対にありません。

「自分を犠牲にして、相手の為に救おうと頑張った」という考えでも、殆ど、相手へ響かない事が多いです。
なぜなら、自分を犠牲にしている、と思っている時点で、自分が救われていない人、なのですから。
救われてない人が、人を救えるでしょうか。

人は影響しあって、一部が重なりあって生きていて、一人ではもちろん生きていません。
が、自分なら救える、というのは、自分自身の「存在意義」を、相手の人生に押し付けているだけに過ぎません。

相手も、相手自身が主人公の一つの人生を生きていて、それまでに色々な経験をして、色んな人間関係の中で生きている中で、今、あなたという人間と深く関わっている時である、それだけだという事を、常に意識する、という事です。

だから、相手にも自分が困れば助けてもらうし、相手が困れば助ければいい。
「私『しか』、この人を生かす事はできない」ではなく、自分がいなくても生きていけるようにすることです。
それは、自分自身も相手がいなくても生きていける事にもつながります。
その上で、恋人なら一緒に生活を築いたり、友人なら関係していくことが出来ればいいですね。

自分を犠牲にしている、という自覚の上での、相手への救いというのは、成り立たない。
自分も救われてこそ、相手との「救いあい」が成り立つのだと思います。
一方的に救っている、という傲慢な考えは独りよがりだ、という事を意識しましょう。
自分で、自己犠牲になっている、と思うのは、本当の自己犠牲ではありません。

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